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包装リースだより

包装リースだより(2022年10月31日号)

2022年10月31日

ストーリーを生かした観光による地域活性化

私は、宮城県の名取市で生まれ、大学卒業まで同市で暮らし、以来30年が過ぎました。名取市は、政令指定都市である仙台市のすぐ南に位置し、人口は7万8千人で、雪も少なく、宮城県の中では、比較的温暖な土地柄です。北緯38度10分で、38度の朝鮮半島の南北の境界線とほぼ同じ緯度です。
地元以外の方に、出身はどこですかと聞かれ、説明の簡略化と知名度を考慮し、仙台市と答えてしまう名取市出身者もおりますが、今回は、そんな名取市について2つ、小ネタをご紹介させていただきます。  
まず1つ目ですが、名取市には、藤原実方(ふじわら さねかた)という平安時代の歌人の小さな墓が竹藪の中にひっそりと残っています。藤原実方は清少納言の恋人だったとか源氏物語の光源氏のモデルのひとりだったという話があります。摂関政治で栄華を極めた藤原道長は、藤原実方の「はとこ」にあたると言われております。また、百人一首の51番には「かくとだに えやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを」(こんなに私がお慕いしているとだけでもあなたに言いたいのですが、言えません。伊吹山のさしも草ではないけれど、それほどまでとはご存じないでしょう。燃えるこの思いを)という実方の詠んだ歌が採用されています。
それでは、なぜ実方の墓が京より遠く離れた陸奥国の名取にあったのか?彼は、宮中の歌会の時に雨が降ってきた中、「桜がり 雨はふりきぬおなじくは 濡るとも花のかげにやどらむ」と詠んで喝采を浴びましたが、藤原行成(筆の大家の三蹟の一人で有名)が「たいしたことはない」というようなことを言ったので、実方は行成がかぶっていた冠を投げ捨てました。これは今で言うと、パンツを下げられたのと同じくらいの屈辱だったそうです。それを見た一条天皇が怒り、実方に対し、陸奥守になり、歌枕を見てこいと命じ、実方は陸奥国へ赴任し、998年、事故で落馬した名取の地で亡くなったといわれています。その後、西行法師がその墓を訪れたり、奥の細道では、松尾芭蕉がその墓を目指しましたが、道がぬかるんで行けなかったそうです。
2つ目は、それから、200年ほど時代が下った1189年、畠山重忠を先陣に、源頼朝は奥州に出兵し、奥州藤原氏を滅ぼしましたが、その際、名取市と仙台市の境にある名取川を題材に詠んだ連歌が残っています。源頼朝が、「我一人 今日の戦に 名取川」と上の句を詠むと、梶原景時が「君もろともに かち渡りせん」と下の句を詠んでいます。名取川は、「名をとる、名をあげる」にかけたものと思われます。国民的ドラマでも描かれていましたが、頼朝と景時の主従関係がよくわかる歌だと思います。
私は、まちをブラブラ歩きながら地形や歴史の解説をする番組をよく見ます。毎回テーマが設定され、それに基づいたストーリー付けがされる等、知らないまちではあるものの非常に興味をそそられます。例えば、先ほどの名取川、ほとんど無名の一級河川ではありますが、上記のような歴史的なストーリー付けをすることで、一気に価値も増すような気がします。 
今後、ますます、観光による地域活性化が求められる中、この10月には、インバウンドも解禁となりました。どんな地域にも歴史的な逸話等は残っているものです。各地域が地元のスポットに光をあて、ストーリー付けをし、それが面的なつながりを持ち、地域観光が活発化し、おみやげが売れ、最終的には、おみやげ製造に使用する包装機械等の需要増につながれば、こんなうれしいことはないと感じる今日、この頃です。

取締役副社長 鈴木 博竹
P&M 通信 2022年10月31日




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